[鉄器時代]
鉄器時代(てっきじだい、英語:Iron Age)は、デンマークのクリスチャン・トムセンが提唱した、先史時代の歴史区分法の1つ。主に利用されていた道具の材料で時代を、石器時代、青銅器時代、鉄器時代と3つに区分する三時代(時期)法を採用し、鉄器時代はその中の最後の時代に相当する。
この分類法は先ヨーロッパ史を前提にして提唱されている為、他の地方に当てはめると矛盾する事が多い。特に文明の周辺地帯では青銅器と鉄器が同時に伝わる事があり、石器時代から青銅器時代を飛び越えていきなり鉄器時代に入る事もあり、必ずしも万能な区分法とは言えない。
鉄を精製するには、非常に高い熱を継続して作り出す技術が必要であり、青銅器に比べて高度な温度管理技術、冶金術が必要になるため、比較的加工しやすい青銅器に比べ、高度な技術が必要になり必然と登場年代は遅れる事になる。青銅器と比べると鉄器は、大量生産がしやすく、耐久性に優れている為、武器としての利用の他に農作業の効率化をもたらした。
最初の鉄器文化は紀元前15世紀ごろに突如あらわれたヒッタイトと言われている。ヒッタイトはその高度な製鉄技術を強力な武器にし、メソポタミアを征服した。その鉄の製法は秘密にされており、周辺民族に伝わる事が無かったが、ヒッタイトが紀元前1190年頃に滅亡するとその製鉄の秘密は周辺民族に知れ渡る事になり、エジプト・メソポタミア地方で鉄器時代が始まる事になる。
各地の鉄器時代はこのエジプト・メソポタミア地方から拡散した製鉄技術が伝わってから始まることになる。従って、一般的に中東から離れた地域にある場所ほど鉄器時代の始まりは遅くなる。
日本は、弥生時代に青銅器と鉄器がほぼ同時に流入しており、石器時代から青銅器時代を飛び越え鉄器時代に突入したと言われている。しかしながら、『魏志』などによればその材料や器具はもっぱら輸入に頼っており、日本で純粋に砂鉄・鉄鉱石から鉄器を製造出来るようになったのはたたら製鉄の原型となる製鉄技術が確立した6世紀の古墳時代に入ってからだと考えられており、たたらによる製鉄は近世まで行われる。製鉄遺跡は中国地方を中心に北九州から近畿地方にかけて存在する。7世紀以降は関東地方から東北地方にまで普及する。