気になった

[ルーブ・ゴールドバーグ・マシン]

ルーブ・ゴールドバーグ・マシン (Rube Goldberg machines) は、アメリカ合衆国の漫画家ルーブ・ゴールドバーグ(RubeGoldberg)が発案した表現手法。
普通にすれば簡単にできることを、手の込んだからくりを多数用い、それらが次々と連鎖していく事で表現。ルーブ・ゴールドバーグはその複雑さや面倒臭さ・無駄加減さに着目し、20世紀の機械化への道を走る世界を揶揄した。
日本でのルーブ・ゴールドバーグ・マシンの原理を用いた装置は『ピタゴラスイッチ』(NHK教育テレビ)の中で登場するピタゴラ装置が特に有名。

(Wikipediaより抜粋)

[ドクトリン]

ドクトリン (Doctrine) とは、政治や外交あるいは軍事等における基本原則を言う。元々の意味は「教義」。
日本では公約を使用して政治の基本原則を明らかにすることが多いため、この表現は稀である。
アメリカ合衆国の大統領が明らかにする場合、「大統領の名+ドクトリン」と呼ばれる。

(Wikipediaより抜粋)

[鉄器時代]

鉄器時代(てっきじだい、英語:Iron Age)は、デンマークのクリスチャン・トムセンが提唱した、先史時代の歴史区分法の1つ。主に利用されていた道具の材料で時代を、石器時代、青銅器時代、鉄器時代と3つに区分する三時代(時期)法を採用し、鉄器時代はその中の最後の時代に相当する。
この分類法は先ヨーロッパ史を前提にして提唱されている為、他の地方に当てはめると矛盾する事が多い。特に文明の周辺地帯では青銅器と鉄器が同時に伝わる事があり、石器時代から青銅器時代を飛び越えていきなり鉄器時代に入る事もあり、必ずしも万能な区分法とは言えない。

鉄を精製するには、非常に高い熱を継続して作り出す技術が必要であり、青銅器に比べて高度な温度管理技術、冶金術が必要になるため、比較的加工しやすい青銅器に比べ、高度な技術が必要になり必然と登場年代は遅れる事になる。青銅器と比べると鉄器は、大量生産がしやすく、耐久性に優れている為、武器としての利用の他に農作業の効率化をもたらした。

最初の鉄器文化は紀元前15世紀ごろに突如あらわれたヒッタイトと言われている。ヒッタイトはその高度な製鉄技術を強力な武器にし、メソポタミアを征服した。その鉄の製法は秘密にされており、周辺民族に伝わる事が無かったが、ヒッタイトが紀元前1190年頃に滅亡するとその製鉄の秘密は周辺民族に知れ渡る事になり、エジプト・メソポタミア地方で鉄器時代が始まる事になる。

各地の鉄器時代はこのエジプト・メソポタミア地方から拡散した製鉄技術が伝わってから始まることになる。従って、一般的に中東から離れた地域にある場所ほど鉄器時代の始まりは遅くなる。

日本は、弥生時代に青銅器と鉄器がほぼ同時に流入しており、石器時代から青銅器時代を飛び越え鉄器時代に突入したと言われている。しかしながら、『魏志』などによればその材料や器具はもっぱら輸入に頼っており、日本で純粋に砂鉄・鉄鉱石から鉄器を製造出来るようになったのはたたら製鉄の原型となる製鉄技術が確立した6世紀の古墳時代に入ってからだと考えられており、たたらによる製鉄は近世まで行われる。製鉄遺跡は中国地方を中心に北九州から近畿地方にかけて存在する。7世紀以降は関東地方から東北地方にまで普及する。

(Wikipediaより抜粋)
(鉄器時代) 

[封じ手]

封じ手(ふうじて)とは、主にボードゲームにおいて、対局の中断時に有利不利がでないよう、次の手をあらかじめ決めておく方法のことである。

持ち時間制の対局で日をまたいで中断する場合などに、手番のプレイヤーが次の手を考え続けられるのでは手番でないプレイヤーが不利であり、持ち時間制の興も削がれる。このような不公平をなくすために、封じ手が用いられる。
具体的には、その日の規定時刻を超過した場合、次の一手は必ず封じ手となり、手番のプレイヤーは相手のプレイヤーに知られないよう次の手を用意する。翌日の一手目は任意に選択することなく、封じた手をプレイする。続けて自由な着手で対局が行われる。
このことにより、どちらもある局面を中断中に考え続けた上で次手を着手する、といったことを防ぐことができる。
封じ手は規定の時刻前に行うこともできる(この場合、規定時刻まで持ち時間を消費したものとして扱う)。 また、規定の時刻に達しても、ただちに封じる必要はなく、持ち時間のある限り次の手を考慮してよい。
手番と持ち時間が影響するようなゲーム(例えばカードゲームや、ウォーゲームなど)で利用できるが、現在公式に用いられているのは将棋と囲碁だけである。

『将棋世界』2008年2月号で、羽生善治・佐藤康光・森内俊之・谷川浩司・渡辺明・藤井猛の6人のプロ将棋棋士に封じ手の戦略や駆け引きについて質問している[2]。羽生・森内・谷川はそれほど気にしていないが、佐藤・渡辺・藤井は駆け引きがあると回答しており、特に渡辺と藤井は「封じる側が有利」としている。

(Wikipediaより抜粋)
(封じ手) 

[天狗]

天狗(てんぐ)は、日本の伝説上の生き物。一般的に山伏の服装で赤ら顔で鼻が高く、翼があり空中を飛翔するとされる。俗に人を魔道に導く魔物とされ、外法様ともいう。また後白河天皇の異名でもあった。

空海や円珍などにより密教が日本に伝えられ鎌倉時代になると、修験道の修験僧(山伏)をも天狗と呼ぶようになった。
今日、一般的に伝えられる、鼻が高く(長く)赤ら顔、山伏の装束に身を包み、一本歯の高下駄を履き、葉団扇を持って自在に空を飛び悪巧みをするといった性質は、中世以降に解釈されるようになったもので、本来まったく性質の異なったものが習合された俗信であるとされる。

天狗は、慢心の権化とされ、鼻が高いのはその象徴である。これから転じて「天狗になる」と言えば自慢が高じている様を表す。彼等は総じて教えたがり魔である。中世には、仏教の六道のほかに天狗道があり、仏道を学んでいる為地獄に堕ちず、邪法を扱うため極楽にも行けない無間(むげん)地獄と想定、解釈された。

山神との関係も深く、霊峰とされる山々には、必ず天狗がいるとされ(それゆえ山伏の姿をしていると考えられる)、実際に山神を天狗(ダイバ)とする地方は多い。
特に、鳥のように自由に空を飛び回る天狗が住んでいたり、腰掛けたりすると言われている天狗松(あるいは杉)の伝承は日本各地にあり、山伏の山岳信仰と天狗の相関関係を示す好例である。
樹木は神霊の依り代とされ、天狗が山の神とも信じられていたことから、天狗が樹木に棲むと信じられたと考えられる。こうした木の周囲では、天狗の羽音が聞こえたり、風が唸ったりするという。風が音をたてて唸るのは、天狗の声だと考えられた。愛知県宝飯郡にある大松の幹には天狗の巣と呼ばれる大きな洞穴があり、実際に天狗を見た人もいると云う。また埼玉県児玉郡では、天狗の松を伐ろうとした人が、枝から落ちてひどい怪我を負ったが、これは天狗に蹴落とされたのだという話である。天狗の木と呼ばれる樹木は枝の広がった大木や、二枝に岐れまた合わさって窓形になったもの、枝がコブの形をしたものなど、著しく異形の木が多い。

(Wikipediaより抜粋)
(天狗)

[ジョン・ロー]

ジョン・ローの貨幣理論は、先古典派経済学の時代の重商主義が全盛を迎えたフランス経済にパラドックスともいえる理論を提示した。王立銀行券の問題は、確かに全国土の貨幣制度を紙幣にする試みであり、ある種’visionnaires:夢想家’と思われても仕方がない。18世紀に入り、彼は独自の先駆的な貨幣理論を持ち歩いたが、いずれにしても失敗に終わっている。もっとも彼の持つ貨幣理論には現実的な側面があった。それは、兌換可能である貨幣がもつ、貨幣価値の保存において、貨幣鋳造に関連する不確実性によって多大な損失を被る可能性がある。このときリスクにバランスを保つということを考えた。 ローは、自らの貨幣理論を遂行するに当たって、金融政策のセオリーを採用している。すなわち、対外経常収支に関する禁止事項を作成し、’devaluation:平価切下げ’などの貨幣の敷居を高くする政策を採る。そして銀行の仲介業務を通じた信用を確保し、紙幣が物価を保証するというものである。だが、彼は大衆を良く理解しており、貨幣理論の持つ特徴である労働価値、安定性、無限時間といった性質を熟知し、’logic au profit d’Etat:国家の利益のロジック’を用いて自らの政策を説明している。 フランス政府の公債整理計画は、パニックを利用した計画性のある貨幣政策であるが、1926年の時(ルール問題に関連するフランス国内のインフレ)のように、その一貫性がしばしば仇になった。ローは、金銀正貨が経済力を示す世界において、国内の影響を考えながら、「アンチジョンロー」を順化させる方針を採ったのである。一般銀行の王立銀行への組み入れはその第一歩であった。しかし、結局、ジョン・ローはバブルという事態には対応できなかったのである。
(Wikipediaより抜粋)
(ジョン・ロー)

[扇風機の都市伝説]

扇風機の都市伝説(せんぷうきのとしでんせつ、Fan Death)とは、密閉された空間で扇風機をつけたまま眠ると窒息や低体温症などで死亡するという都市伝説。韓国では広く信じられており、日本でも古くから「扇風機をつけたまま寝ると死ぬ」という類似した話がある。

扇風機による死亡説の支持理由として、「汗をかき、扇風機の風によって盛んに蒸発が起きることで体温が奪われ低体温症に至るまたは体内の水分を奪われるため脱水症状に陥り血液がドロドロになって脳梗塞や心筋梗塞を起こす」というものがあげられている。また実例として韓国の新聞記事を引用するものがある。

一見すると科学的・論理的な説明であるが、実際には通風や空調が人体にもたらす影響についての医学面からの研究例は少なく体表温にわずかな低下をもたらすことや、風の強さが快適感に影響をあたえるといった程度のことしか分かっていない。
もともと過労状態であったり、老齢・病弱などの身体的な素因があったうえで、長時間扇風機やエアコンの風を受ける事で体温調節がうまく機能せず、結果として心臓マヒなどの症状がおこる可能性がある。この場合因果関係の従属性として「扇風機に当たったまま寝ると死ぬ」確率があるが、全称命題として「すべてのヒトは扇風機に当たったまま寝ると死ぬ」とするのは早まった一般化による誤謬である。

(Wikipediaより抜粋)
(扇風機の都市伝説)

[禅]

全ての人が例外なく自分自身の内面に本来そなえている仏性を再発見するために、坐禅と呼ぶ禅定の修行を継続するなかで、仏教的真理に直に接する体験を経ることを手段とし、その経験に基づいて新たな価値観を開拓することを目指す。そうして得た悟りから連想される智慧を以て生滅の因縁を明らかにし、次いで因縁を滅ぼして苦しみの六道を解脱して涅槃に至り、その後に一切の衆生を導くことを目的とする。そのため師家が修行者に面と向かって臨機応変に指導する以外には、言葉を使わずに直に本性を指し示す道であるとされる。

主な修行形態として坐禅を採用するのは、達磨大師が坐禅の法を伝えたとする以外にも、古来より多くの諸仏が坐禅によって悟りを開いてきたからであるとされる。最近は、坐禅によってセロトニン神経が活性化され鍛えられることや、通常とは異なる独特なアルファ波が発生することが、精神的安定や心身の健康の一因であるという生理学教授もいる。ただし、自分も根本的には仏祖と同一であるという境地に到達した者には、一切の行動にことごとく仏道が含まれているという価値観が生じるため、坐禅に限らず念仏や読経も行うようになる。

禅宗においては、そもそも禅宗とはなにかといったメタな問いかけを嫌う傾向にある。そのような疑問の答えは、坐禅修行によって得た悟りを通して各々が自覚する事が最上であるとされ、もし人からこういうものだと教わりうる性質のものであるならば、それは既に意識が自身の内奥ではなく外へ向かっているため、内面の本性に立ち返るという禅宗の本意に反するとされるからである。もう一つの理由として、概念の固定化や分別を、わがままな解釈に基づく「とらわれ」「妄想」であるとして避けるためであり、坐禅修行によってとらわれを離れた自由な境地に達してのちに、そこから改めて分別することをとらわれなき分別として奨励するからである。

文字や言葉で教えることを避けて坐禅を勧める理由として、世尊拈華、迦葉微笑における以心伝心の故事を深く信奉しているという以外にも、自分の内奥が仏であることを忘れて経典や他人の中に仏を捜しまわることがかえって仏道成就の妨げになるからであると説く。沢庵和尚がたとえて言うには、「水のことを説明しても実際には濡れないし、火をうまく説明しても実際には熱くならない。本当の水、本物の火に直に触ってみなければはっきりと悟ることができないのと同様。食べ物を説明しても空腹がなおらないのと同様」で、実際に自身の内なる仏に覚醒する体験の重要性を説明し、その体験は言葉や文字を理解することでは得られない次元にあると説き、その次元には坐禅によって禅定の境地を高めていくことで到達できるとする。

(Wikipediaより抜粋)
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