ジョン・ローの貨幣理論は、先古典派経済学の時代の重商主義が全盛を迎えたフランス経済にパラドックスともいえる理論を提示した。王立銀行券の問題は、確かに全国土の貨幣制度を紙幣にする試みであり、ある種’visionnaires:夢想家’と思われても仕方がない。18世紀に入り、彼は独自の先駆的な貨幣理論を持ち歩いたが、いずれにしても失敗に終わっている。もっとも彼の持つ貨幣理論には現実的な側面があった。それは、兌換可能である貨幣がもつ、貨幣価値の保存において、貨幣鋳造に関連する不確実性によって多大な損失を被る可能性がある。このときリスクにバランスを保つということを考えた。 ローは、自らの貨幣理論を遂行するに当たって、金融政策のセオリーを採用している。すなわち、対外経常収支に関する禁止事項を作成し、’devaluation:平価切下げ’などの貨幣の敷居を高くする政策を採る。そして銀行の仲介業務を通じた信用を確保し、紙幣が物価を保証するというものである。だが、彼は大衆を良く理解しており、貨幣理論の持つ特徴である労働価値、安定性、無限時間といった性質を熟知し、’logic au profit d’Etat:国家の利益のロジック’を用いて自らの政策を説明している。 フランス政府の公債整理計画は、パニックを利用した計画性のある貨幣政策であるが、1926年の時(ルール問題に関連するフランス国内のインフレ)のように、その一貫性がしばしば仇になった。ローは、金銀正貨が経済力を示す世界において、国内の影響を考えながら、「アンチジョンロー」を順化させる方針を採ったのである。一般銀行の王立銀行への組み入れはその第一歩であった。しかし、結局、ジョン・ローはバブルという事態には対応できなかったのである。
(Wikipediaより抜粋)
(ジョン・ロー)